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(DIARY) 2023年2月~
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●今年もよろしくお願いします。もう2月も下旬ですが……。
昨22年の『風だより』の更新回数はたったの○○回でした。新しい今年のページを作るのも面倒なので、昨年のページに続けて今年の記事を付け加えようと思いましたが(最近、頭と体調がおかしくて面倒なことが出来なくなったのです)、思い直して今年も新しい頁にしてみました。来年の3.11あたりにやってみたいこともありますので。また勝手なことを続けますので、しばらく老害にお付き合いいただければ幸いです。
■金野昭君
2月の初旬のある夜、仙台のNT君(大川小・中の同級生で現役のピアノ調律師)から突然の電話があった。
同級生の金野昭君の訃報がご家族から届いたという。金野君は昔から同級会の世話役で、各種案内から出欠の知らせまでほとんどすべてをやってくれていた恩人だが、その他の思い思い出もたくさんある。
私と同じ疎開で大川(針岡・芦屋)に移住した境遇も似ていたし、昭君もお母さんもほんとうに優しい人だった。昭君との思い出の第一はたぶん中学のころ、教室の廊下で後から飛びついてきた事。私がとっさに背中を丸めたので昭君は背負い投げを食った格好で廊下にあおむけに転がった。その時の腕の感触や昭君の「なんだこれっ」という戸惑った顔が今でも鮮明によみがえる。
中学では私もテニス部で一緒だった。その軟式テニスでは恥ずかしいことがあるが、それはまたいずれ書きましょう。後に大川の冬について聞いたところ、自宅から学校までスケートで通ったそうだ。芦早から中学校までは一面平らな田圃なので、あそこが凍れば「なるほどなあ」と思ったものだ。
社会人になってからいつかの同級会の後で東京駅近くで会ったときは、彼は秋田の食品会社の重鎮で、名物「比内地鳥のきりたんぽセット」を頂いたことがある。これも忘れ難い味であった。昭君、ほんとうにいろいろありがとう。もう逝ってしまつたのか、私もそれほど遠くない時期に行くと思うのでまた楽しく遊びましょう。
■ご無沙汰すみません
2月の中頃、針岡のKS君から「元気かな」という電話があった。尾ノ崎のKKさん、谷地のМОさんが「オリオンの更新も無いし、生きてるのかな」と心配していたという話。ありがたいことです。なんとかロヨロしながらも元気ですとKS君にはお伝えしました。
実は昨年夏に長野で膀胱のガンが再発し、出血多量でフラフラしながら長野と東京の病院を行ったり来たりするなどし、その後なーんにもせずにゴロゴロしてオリオンも放りっぱなしになった次第です。昨9月下旬に入院、2日間の輸血の後、検査とガンの除去などしました。
一時は医者も私も膀胱を切除して外部に袋をぶら下げる予定でしたが、幸か不幸か20年ほど前に大動脈を手術した跡が癒着しているようで、開腹は難しいとのことで12月に2年前と同じ抗がん剤治療をして
現在は大過なく過ごしています。歳をとるといろいろなことが起こります。金野君の訃報の後、あちこちの同級生の消息が分かりましたが、葉山のKS君(長面)宅の電話が「現在使われておりません」
ということでした。
■江戸時代に日本地図を作った伊能忠敬の足跡
幕末の志士で長面にお墓のある羽生玄栄の研究で皆さんもご存知と思いますが、FSさんが今度は江戸時代に日本地図を作った伊能忠敬の測量日記という資料を見つけて、送ってくださいました。
石巻・女川から始まって雄勝・名振・長面と詳しい日記が記されています。長面の肝入り「長沼甚蔵」とか長面の「清兵衛」宅に泊まったとかあるのですが、いまのところ現在のどのお宅か分かりません。
いずれ現代文にしていただいてオリオンにも掲載させていただきたく思っています。 (2/18)