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(DIARY) 2021年1月~


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■気味の悪い地震が続きます
 今日(5/1)の10時過ぎ、宮城北部で震度5強の地震があったそうです。町のゴミ処理場から戻って、連休前のひと仕事が終わったとホッとしてTV�をつけたら地震のニュースでした。
 最近、東北ばかりでなく全国的にも地震のニュースが多く、巨大地震の予兆かと薄気味の悪さを感じていたところでした。宮城県北部が5強ということなので、兄弟や同級生にとりあえず電話。じつは最近は震度4ぐらいは慣れっこになっていて、たぶん大丈夫だろうと電話もしないことが多かったのです。
 石巻・登米・矢本・大崎の兄姉やイトコは本人や家族は無事でしたが、戸棚の中の食器や飾り物がぐちゃぐちゃになったり、仏壇から位牌や写真が落ちたりしたそうです。揺れの大きさとともに、「長~い地震だったよ」というのが共通の感想でした。大崎の寺の庫裏では、台所のドアがひとりで開いて中のものが飛び出したりしたそうです。寺も大きいですが庫裏も大きいので、イトコは「台所のあたりが強く揺れたんですかね。居間はそうでもなかったけど」と言ってました。
 矢本のイトコは「こっちは2月以来、毎月5ぐらいの地震がつづいている。巨大な地震がまた起こるのではないかと気味が悪い」と言ってました。
 針岡のKS君は田圃に行くとき地震が起こり、「原から鳥屋森への坂で車の前に石が落ちてきたよ」と話していました。明日から田植えが始まるそうで、今年は去年と同じ6町歩のお米を作るそうです。代掻きが終わって、明日から田植えを始めるとのこと。
 「今年はコロナもあるし、仙台の息子も孫も手伝いに来れないから、一人でやるしかないな。3日ぐらいかかるだろうけどがんばるよ」とのことでした。しかしまあ、6町歩の田植えを一人でやるなんて、昔は考えられないことですね。もう歳なんだから、あまり頑張らないでください。ちなみにワクチンの予約は連休明けからのようです。
 久しぶりの田舎への電話なので、福地のYHさんの声を聞きたくなって電話してみました。「2階にいたんだけど下に降りられなかった。閉じ込められたらどうしようと一瞬考えた」そうですが無事でした。
 お互いにあっちが痛いこっちが痛いと言いながらの、庭仕事や畑仕事の近況を報告しあいました。家のすぐ前の小川が長いこと工事中だそうで、普段は静かな山間の家の前をトラックが頻繁に通るのが頭痛の種のようです。以前はこの小川にサケが上ってきたのですが、きれいに工事されてどうなるか。コンクリートになるのは両岸だけで、底は砂利なので上って来るかもしれないとのことでした。もっとも太平洋から北上川を登るサケが極端に減っているそうなので、この小川を上ってくる風景はしばらく見ることができないかもしれません。
 ところでテレビによれば、女川原発も福島の原発も異常がないとのことですが、そもそも原子力関係の発表は信頼度ゼロなので、鵜呑みすることはできません。オリンピック招致に阿部某は「福島はアンダーコントロール」と言いましたが、いまだに収拾のつかない状況です。現政権もオリンピック開催のために「コロナはアンダーコントロールにある」と言いたそうですが、これも信頼できる話ではありません。

●写真集〈2021長面 春〉の反響
 さて、4月にFSさん(長面・国立市)、YTさん(長面・石巻市)のご尽力で、長面の今年の春の様子をお伝えしましたが、多くの反響が寄せられているようです。
CHさん=長面はすっかり変わって、どこが何やらわかりませんね。かろうじて、尾の崎橋が目印です。管理人さんがよく編集しています。
SNさん=昔の面影は全く無いですね。堤防と尾の崎橋は違和感を覚えます。思い出に残る風景は記憶の中だけです。それだけ津波の被害が大きかったんですね。
KSさん=福浦の写真を見て、小松先生と男子生徒たちでキャンプをしたことを思い出しました。夜になって、先生にお酒を出してあげられなかったことを、今になって残念に思います。KS。


そのほか、FSさんがボランティアの集まりで写のコピーを回覧したところ
「石巻長面って岩手県?」と聞く人がいたそうです。で、
写真を見た後で、みなさんは「スゴーイッ!」と言っておられたそうです。

また、YTさんからメールがあったそうで、

石巻市河北平六尾の崎橋」をキーワードにネット検索してみたら、ヒットしたトップに出てくる写真の下に、オリオンの「長面写真集2020春」が抜き書きされて出てきたのでビックリした!」とのことでした。

FSさん、YTさんありがとうございます。YTさんの写真に、昔の長面の写真を組み合わせたページを作ってみたいと思っています。また、YTさんにお願いしているのですが、機会があったら北上川の堤防から堤防や、松原方向、長面方向を撮っていただきたいなあと思っております。 (5/1)


●追記
 FSさんにも地震についてのメールが届いたそうです。
 〈2021長面 春〉を撮っていただいたYTさんから
「トイレ掃除の最中だったので、トイレは柱が多く多少安心な場所、と聞いたことがあり、収まるのを待ちました。津波が心配なので、逃げる準備をしながらラジオを聞いた」そうです。
 亘理の妹さんからは
「また地震でした。怖かったですが、被害はありません。大丈夫です」しいう連絡があったそうです。

 大きな長~い地震で、津波が無くて良かったです。なにが津波の有無を分けるんでしょう。         (5/1)


■写真集『長面(ながつら)2021春』のお知らせ
 FSさん(長面・国立市)、YTさん(長面・石巻市)のご尽力で、長面の今年の春の様子をお伝え出来ることになりました。
 本来の長面ならば、いくつかの年中行事や山河の春の風景が数多くあるはずですが、昨年夏と一昨年春の写真集にあるように長面・尾の崎(間垣・釜谷もそうですが)震災の復興の名のもとにすっかり様変わりしました。
 これが復興と言えるのかどうかわかりませんが、長面・尾の崎の現状はYTさんの写真の通りです。じっくりとご覧いただければ幸いです。(こちら)
 なお、オリオンのトップページの上のほうに『長面(ながつら)2021春』『長面2020夏』『長面2019春』が並んでいますので、1年ごとの変化を見てもらってもいいかなと思います。もっとも今の長面は戦争中の要塞を思わせるコンクリートだらけで、1年ごとの変化はあまりありませんけれども。
 編集しながら、弘象山や長面浦の山々、追波湾の島々は変わらないなあと思いました。いずれオリオンの中にある古い写真と、YTさんの最近の写真を組み合わせて、『懐かしのながつら……』みたいなページを作ってみたいと思いました。
 YTさんの写真がFSさんから届いたのが4/18だったと思います。お知らせが今日になってしまったのは、私の脳力の衰えと事務処理能力、判断力の衰えによるものです。2月にめでたく80になり、作秋から今春までコロナと年のせいにしてプールにもいかず、オリオンも顧みずナーンもしなかったせいでオリオンの編集も間違いだらけ。FSさんに叱られながらなんとか出来た次第です。
 じつは4/20近辺は放射線の予後健診、動脈瘤の再健診、マンションの理事会、大規模修繕の建築士との打合せ、駐輪場拡張の業者との打合せなどがつづいていました。それと東京に戒厳令が出る前に、なんとか長野の畑に逃げ出したいという焦りで、脳内がシッチャカメッチャカでした。
 4/21には長野の畑に着きましたが、来てみると昨年はガン治療であまり来れなかったせいもあり、庭が荒れ放題。畑の雑草も今年は暖かいせいか草の成長が早く、2回もトラクターで起こしてくれたそうです。
 脳内の異常はしばらく続いており、昨日は芝生の除草剤を使うべきところに、ラウンドアップではないけど、根こそぎ枯らす除草剤をジャージャー撒いてしまいました。今日ようやく花壇の一部の草をむしりちょっと一段落しました。
 畑を起こしてくれた知合いは少し下の同年代ですが、「高齢者からワクチンを打つなんて間違っている。それで医療費が高いとか働き手が少ないとか、根本が間違っているじゃないか」と言われ、なるほどと思いました。
 世田谷区はワクチンの接種券が届いたそうで、息子に手続してもらっています。接種の日取りはまだまだです。
 なんだかわけのわからないお知らせになってしまいましたが、ともかく長面の写真集をご覧ください。         (4/24)


■風化…ある程度は風化したほうが
 今日は大阪でコロナ感染者が1000人を超えたという。CT検査と薬の仕入れで医者巡りをしているときにテレビのニュースで知りました。東京の自宅付近の街路はツツジとハナミヅキが咲き始めてにぎやかですが、散歩する人もあまり見かけずに閑散としています。マンボウ令の効果ならいいのですが、死者が10000人近いと聞くと、震災時の30000人近い犠牲者のことを思い出します。
 春が来ましたが、この冬はほんとうに何もしないで家に閉じこもっていました。長面へもしばらく帰ってないし、東京で同級生に会うこともないので「風だより」に書くことも見つかりません。たまに思いついて書き始めてもただの近況報告みたいになってすみません。あまり更新がないものだから、親しい人は身体を壊して寝込んでいると思われるのか、何かつまらないことを書いても「元気で良かった」とか「生きてるんですね」とか、申しわけない便りを頂いたりします。
 3.11付近では、テレビも震災の懐古一色で、風化させてはならないとの意見が多くありました。実際に遭遇された方にとっては忘れたくても忘れられない出来事で、ある程度の風化はあった方がいいのではないかと思うくらいです。喉元過ぎれば熱さを忘れるは人の常で、いつまでもノドが焼けついていたら、苦しくて苦しくて“今”を目いっぱい生きることもままならないでしょう。
 とは言いながら昔の釜谷、長面、松原の景色や人々を忘れることはできず、時に湧き上がる望郷の念と影も形もない古里を思うと苦しさがよみがえります。コロナもワクチン接種がはじまって、うまく行けば来年の今頃には風化しそうな感じです。マンボウ令違反かもしれませんが、しばらく東京を離れて長野の畑に行ってみようと思っています。今年はちゃんとした畑はやめて、行者ニンニク、山フキなんかを作ってみようと思います。    (4/13)


■まだ10年目なのにまたグラり
 昨夕(3/20)、また大きな地震(震度5強)がありました。震源地は宮城県沖だそうですが、地図で見ると大川や雄勝のすぐ近くでマグニチュード6.9だとか。
 「今回は突然ドンと来たのでびっくりした」とKS君は言っていたが、東京は地震警報から少し遅れて微動が始まり、前回同様にユラユラと大きく揺れました。震度は4だそうですが、長野県中部も震度4とかで、南海トラフの大地震もいよいよ近いのかなと心配になります。
 3/11にはどこのテレビも東日本大震災関連の番組で、続けてみていると気分が落ち込むので、出来るだけ録画をし、神経が正常に戻ったところで逐次見直していました。まだ全部は見ていないのですが印象に残ったのはNHKの『あの日の星空』という再放送の番組で、多くの地方で3.11の夜が満天の星空だったことを初めて知りました。
 大川周辺では雪が降る寒い寒い夜だったことを聞いていたので、星空だったことは想像もしませんでした。それでもこのサイトの名が「オリオンの311の星」なのは、東京から想像して、亡くなった多くの方が星になって天空に集っているような気がしたからでした。番組の中でも多くの方が満天の星を見て慰めと勇気をもらったと語っておられましたが、地上の人工の灯りがまったく消えた時、満天の星を見て思い描くのはふる里や父母や幼なじみのことなのだなあと、改めて感じました。
 KS君によれば、大川の桜はまだで紅梅が散ったばかりだそうですが、そろそろ田植えの準備にかかるそうです。2011年の3月も今年のように暖かだったら、犠牲になられた方ももう少し少なかったのではないかと思うこの頃でした。                    (3/21)


■ちょうど10年目に
 「夜中、枕もとの仏壇がカタカタ鳴り小刻みに揺れているのを見て飛び起きました」。すぐ亘理の妹さんや石巻の同級生に連絡してみるとたいした被害はなく安心したというFSさんのお便りがありました。
 10年ひと昔と言いますが、ちょうど10年目の2021年2月13日に大きな地震(最大震度6)がありました。私も石巻の兄、登米の姉の家に電話しましたが異常なし。針岡のKS君、福地のYHちゃんも揺れは大きかったが異常なしとのこと。福島のTN君も異常なしでしたが「思い出すなあ」と10年前の地震を振り返っていました。奥さまの手掛かりは依然無いそうです。
 テレビで各地の墓地や家屋の被害などを見て、長面の墓地を思い出し、また墓石が崩れたりしていないか文隆和尚に電話してみました。今日も長面に行っており、長面の墓石は異常がないとのことでした。一安心です。大川地区や雄勝地区の人が多く住んでいる石巻氏二子(ふたこ)の団地も地盤がしっかり固められていたようで、どこも変わったところはない、みんな元気だよと元気でした。
 たった10年なのに、またこんな大きな地震が来るなんて地球はどうなっているのだろう。コロナは少し落ち着いてきたようですが、まだまだ油断はできませんね。コロナの用心はしているつもりですが、地震の備えは何もしていません。そろそろ考えなくてはいけませんね。           (2/15)


■明治の羽生玄栄
 玄栄さんの末裔にあたるJIさんから、品川弥二郎宛の書簡と桃生醫院の印鑑についてのお便りを頂きました。じつはJIさんは一昨年の7月、帰宅途中の路上で倒れ(原因も場所も不明とのことでした)、埼玉日赤のICUに運ばれ、そのまま入院→リハビリをつづけ昨年1月に半年ぶりぐらいで退院されました。
 その際はメールを打つのもやっとという状態でしたが、明治24年に内務大臣に就任した品川弥二郎への玄栄さんの書簡があるはず、玄栄さんが医院を開いていたらしい遺品などについて話され、「体調が回復したら送ります」というメールを頂いていました。
 管理人が今年は晴れて80歳になると書いたところ、80なんてまだまだですよという元気づけのお便りとともに、上の書簡や印鑑などの資料を送っていただきました。桃生醫院はどこで誰が開業していた医院なのか、玄栄さんがなぜ八戸なのかなど分からないことが多いのですが、送られた資料を『特集 玄栄さんのこと』の末尾に収録させていただきました。(こちら)
 最近はすぐ目がかすんでパソコンはつらいのですが、冊子化のデータのほうもボチボチと進んでいます。     (1/31)



■もう1月も半ば、もう満10年がすぐ
 本当にこれが“風化”というものでしょうか。今年はお正月以来これまで、オリオンの更新も大川村のこともほとんど忘れてトランプとバイデン、それにコロナに一喜一憂しつつテレビにしがみついていました。何の役にも立たないのにショウモナイことです。ただまあ、子供のころの長面(ながつら)をこのところ何度か夢に見ました。
 しばらく前(去年の今頃)から、オリオンの気になる話題を小冊子にまとめようと思い、とりあえずこの「ふるさと風だより」の初めから日記風の記事にリライトを始めたのですが、あれこれ思い入れの強いものが多くて難儀してました。冊子にしたいと思ったのは、ネット上のものはいつパッと消えてしまうかわからないからです。なんとかそれぞれのサワリでも冊子にしたいと思ったのですが、そのうち体調不良とかほかの野暮用とかに取り紛れて中断しています。
  満10年を迎える今年に出版できればと思っていたのですがちょっと難しくなって来年に延ばそうと考えています。今年の2月、管理人も晴れて80歳になります。コロナから見れば良い標的でしょうが、もう何が起こっても文句は言いません。何かの場合は延命治療などはせずに静かに逝きたいと思います。
 そういえばオリオンの初期のころに「太平洋戦争」「東日本大震災」という千年に一度の災厄を経験できたのは貴重なことかもしれない。二度あることは三度ある、三度目は何だろう」と書いてましたが、三度目は今のコロナかもしれませんね。まあ疫病は100年に一度らしいですが。
 最近はスマホを眺めることが多くなって、『石巻かほく』の記事をよく見ます。今日は雄勝峠や京ケ森、黒森山あたりに風力発電所ができるというニュースを見ました。日立サステナブルエナジーという会社(日立市)が2024年に着工、最大15基で総出力6万3000キロワットだそうです。早く軌道に乗って女川原発などは不要になればいいです。これ以上福島の二の舞はたくさんですから。
 コロナの陽性患者数も石巻市〇人、仙台市○○人などと出ていますが、これはもう全国しょうがないですね。気をつけてなんとか乗り切るしかないですね。    (1/20)


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