■ 津波 そのとき ■

 
 「人が創ってきた物だけが……」   雄勝町分浜 M.Sさん

 人類が、おそらく有史以来いまだかつて経験していないと思われるほどの、未曽有の災害を目の当たりにし、私を含め、家族も、地域の方々も、すべての被災された方々も、今まで先祖から受け継ぎ、価値あるものとして継承し、そして自分自身も粛々として築きあげてきた、文化、財産、宗教観、何もかにもが、たった十分ほどの自然の猛威に、なすすべもなく打ち砕かれ、月が二個になったような、世界が変わってしまったような、そんな喪失感、失望に襲われ、現実感の伴わない、何やらふわふわした底なしの無常観に覆われた、心が麻痺し冷凍されたような、皆そんな心の状態だと思います。
 
 五日間にわたった、孤立され寒さと飢えの中での究極の生と死が背中合わせの状況から、やっと救出され、大型ダンプカーの荷台で揺られながら、降りしきる雪の間から見た、生まれ故郷雄勝の変わり果てた凄惨な、電柱や、一般家屋がほとんどなく、見るも無残なその光景は生涯忘れ去ることことができないでしょう。山や海、木々など自然のものは、何事もなかったかようにすまし顔なのに、人が創ってきた物だけがまるで、邪魔だといわんばかりにものの見事に破壊されつくされている現実に、私たちはいったい今まで何をしてきたのだろうという底知れぬ無力感に私は襲われました。そんな中での、あなたの、そして多くの方々の温かい励ましの言葉、また、力強い応援をいただき、少しずつ、凍えきった心が解かされ、温かい感情が少しずつ表出してきて、生きていく意欲が脈打ってきた思いです。

 雄勝の高源院に行っては、毎回その悲惨な状況に呆然と立ち尽くし、何をどうはじめていいかわからない眩暈にも似た感に襲われながらの、遅々として進まない復興状況でしたが、古川地区や、遠く静岡からの青年僧侶、また若い方々中心のボランティアの献身的な奉仕活動により境内内外のがれきはほとんど一掃され、なんとか本堂だけ復興できそうな希望が出てきました。若い方々の目は等しく美しく力強く、そして、どこまでもまっすぐで涼やかで、日本もまだまだこれから良くなるという希望を見た思いでした。


*M.Sさんは雄勝町分浜の曹洞宗・高源院のご住職です。
地域の避難所になっていたほどの高台にありますが、それでも庫裡も本堂も全壊しました。
眼下に津波が襲ってくるのを見て、避難中の皆さんとお年寄りをおぶったり背を押したりして、さらに背後の高所に避難したそうです。
 このお便りは6月、かなり以前から兼務していた大崎市の眞源寺に落ち着かれてからいただいたものです。(松原A)


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