「小さなペンライトの灯りがいちばん心強かった」  TS君(テケちゃん) 石巻市針岡


*厳寒の真っ暗闇の山中、もっとも勇気づけられたのが小さなペンライトの灯りとは意外でした。皆さんの非常持ち出しザックにもぜひひとつ。
*山を歩く、流された車のガソリンをいただく、ドラム缶で風呂を作る……。昭和10年世代の面目躍如、この根性サバイバルは見習わなくては……。

●谷地の堤防道路で
 針岡のテケちゃんは古物商の免許を持っていて、その日は飯野川方面で地震に遭遇した。自宅は針岡の中道で津波の心配はないが、なにしろ強い揺れなので家に向かって軽トラを走らせた。
 ところが谷地の道路に出た途端、間垣方面を襲う津波を目の当たりにした。
「真っ黒な水でな、そりゃすごかった」
 一番最初に頭をよぎったのは、荷台にある古紙などが「濡れては困る!」ということだったと苦笑する。
「でもな、ちょっと早かったら針岡に向かう途中に巻き込まれていたし、ちょっと遅かったら横川から谷地の間で巻き込まれていた。ラッキーだったよ」
 ここにいてはいけないと
とっさに判断したテケちゃんは谷地のヘリポート(管理人はどこにあるか知りませんが、東北電力が電線敷設のために作ったヘリポート)に車を乗り入れ、難を逃れた。

 押し寄せる津波は、谷地から富士沼、中学、針岡一帯まで、見たこともない風景に激変させて、だだっ広い海面が広がっている。
 しばらく待ったが水が引く気配はなく、針岡への道路は完全に水没、車はむろん歩いても無理だ。家にいる奥さんや集落のことが気になるが携帯も通じない。
 ヘリポートから山に登って、山中を歩いて針岡・中道の家へ向かうことにした。

●「ツナギを着ててさ、これが重いんだよ」
 谷地から中道の自宅までは、直線距離でも3kmくらいある。平地を大きく迂回して山中を進むには少なくとも7、8kmはあるかもしれない。それも斜面の道なき道を進むのは相当の苦労だ。右往左往しながらヤブをかき分けながら進むうち、日が暮れて暗くなった。
「もう、この辺までくれば下の道路に降りられるだろうと、山を下ったらさ、突然、胸までドボンッだよ」
 道路は胸の高さまで冠水していたのだ。

 あわてて再度山によじ登ったが、さあ、これからが大変。
 作業用のデニムのツナギを着ていたのだが、これがずっぽり水を含んで重い。
「重い、重い。ツナギがあんなに重いものだとは思わなかったよ」
 さらに真っ暗闇の山中は零度近い夜気が襲ってきて体を冷やす。
「あんなに辛くて、心細いことはなかったな」というが、そうした中で勇気を与えてくれたのは小さなペンライトだったという。
「ずぶぬれで、真っ暗闇の山の中で、道もわからない。そんな中で小さなペンライトをときたま点ける。この灯りほど心強いものはなかったなあ」

 ようやく福地と針岡を結ぶ、昔の林道にたどり着くことができた。
 この林道が見つかればあとは自分の庭のようなもの。家路を急いだが自宅に着いたのは夜の7時をまわっていた。
「今頃までどこにいたの? ひどい地震だったのに」と奥さん。
 
停電でテレビもなく、携帯も通じない奥さんは、津波のことをまったく知らなくて、仕事で遅くなったと思っていたのだという。山あいの高台にある中道は津波の影響はなかったのである。

テケちゃん流サバイバル
 テケちゃんのすごいところはここからである。
・ガソリン
 震災直後はどこもガソリンがなくて苦労したが、テケちゃんは津波で流されてきた車からガソリンを入手した。
「車は大破したり泥に埋まってたりしてるので、ポンプや缶ではガソリンは抜けない。底の浅い鍋をタンクの下に差し込んで抜かせてもらうわけ。掘り出して使えるような車じゃないから」

・お風呂
 津波の被害を受けなかった家でも、停電が続いたり激震でゆがみが生じたりして風呂が使えなくて大変だった。
 テケちゃんはどうしたかというと、これも流れてきたドラム缶を加工して、屋外に薪を焚く風呂をつくった。
 「んだから風呂に不便することはなかったけんども、誰かくるとマズかったなあ」そうです。


針岡の同級生・テケちゃんに話を聞いたのはだいぶ前のこと。書こう書こうと思っているうちに日が過ぎて、細部がちょっとあやふやになってしまいました。
 いずれそのうち、もっと細部を聞きたいと思ってます。テケちゃん、よろしく。


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