遺影集 草笛四摂法(その一)



(画像をクリックしてください)



 私小諸懐古園で旅人の思い出のために草笛を吹くことにしようと思い立って、京都から小諸へ移り住むことにしたのは、昭和三十三年四月のことで数え五十二の時でありました。
 それから十年たったころから、私をおぢいさんと呼ぶ旅人達が出て参り、今は老いも若きも皆私をおぢいさんと呼ぶようになりました。然し私は自分を今でもおぢいさんとは夢にも思っていないのであります。それは草笛は童の遊びで、少年時代草笛ふいた子でもおとなになればそのことを忘れてしまうもので、草笛は決して大人や年寄りの吹くものではないのであります。
 けれど今の人々はそういうことを知らないから、私のことを草笛のおぢいさんなどとも呼ぶのであります。然し、草笛吹く心は童(わらべ)心であるから、草笛吹く私の心は「年は十四の春浅く」というべきところであります。
 よく幾つですかときかれます。そのとき年は十四のではいくらなんでもおかしいから、十九の春ですと答えるのです。十九といえばまだ少年だから十九の春と答えるのです。
 ……雨や雪ふりでないかぎり、私懐古園の奥の笹やぶのもとで草笛ふいておりますが、私はこの笹やぶのもとを宇宙間一番よいところと思っております。何にくらべてよいということでなしに、無条件にそう思っているのであります。それでこの笹やぶのもとは私の竜宮城であると旅人達にもいうのであります。     
横山祖道「十九の春」より抜粋

*草笛についての老師の思いは『草笛禅師〜横山祖道 人と作品』(こちら)のP56〜66を参照ください。


HOME  目録ページへ戻る