長面(ながつら)の写真集
Nあきらさん、懐かしい写真をありがとうございました。別角度からの写真は今後、関連記事の中でもいろいろ使わせていただきたいと思っています。 (2014.8.20)
震災前の上空から (泉ヶ岳パラグライダークラブさんのyoutube動画からのキャプチャーです) 掲載2013.10.21 |
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長面・松原海岸 太平洋・追波湾に面した長面海岸。 文字通り白砂青松の地でした。管理人の実家の林、 イトコの家と農園、松原荘が見えます。 |
長面浦と長面集落 (撮影2009.07.10) 145戸あった長面の集落の中心街。手前の尾崎橋の 上の空き地のようなところは塩田の跡。 |
松原の砂浜の北端=北上川の河口 (2009.12.30) 左が長面・尾の崎で、右は十三浜。この砂浜にはカモメの 群れがたむろしており、時にミサゴが急降下していました。 |
長面から釜谷にかけての緑野。 松原から北上川に沿って釜屋方面への堤防。 甚平閘門が富士川と北上川を結んでいました。 |
*元の動画はこちらです。美しく、思いのあふれた動画です。ぜひご覧ください。 【大川小学校周辺 長面 震災前映像-T】 【大川小学校周辺 長面 震災前映像-U】 |
5、長面のお寺と神社 (STさんの写真2011.7.17から)
長面のお寺・龍谷院と墓地
奥に見える屋根が本堂と庫裡。ただし、流されて位置が変わっているようだし
屋根の下はぐにゃりと曲がった柱がむき出しのままだった。
5月の初めに見たときは、墓石はほとんどすべて津波で散乱していたが、
まもなくお寺さんの努力でほぼ元通りになったという。
ここは避難場所になっていて、多くの人が避難してきたが、裏山に登りきれないで犠牲になった方も多い。
最近出版された本『海に沈んだ故郷』(長面在住・堀込さん夫妻著)に避難の様子が詳しい。
この風景の異様さは、地元の人でなければわからない。
右の山は尾の崎のゴゾヤマで、水平線は太平洋、左の山並みは十三浜。
本来は、目の前から豊かな田畑、長面の人家が広がっていて、松原の松さえ見えないはず。
水平線がはっきり見えるなんて、あり得ない光景だ。
長面の北野神社(天神様)、八雲神社(天王様)への道
左は長面浦で神社はこの道から右へ、山を登った所にあり、多くの人が避難した。
長面の風景(左)とSTさんの家(右)
一見、修理すれば生活できそうにも見えるが、集落全体の立ち直りが……
1 長面海水浴場
公に「長面海水浴場」と呼ばれるようになったのは、昭和30年代半ばだろうか。
それまではお盆の時期をのぞいては、ただ広大な砂浜に訪れる人もまばらだった。
写真は1980年ごろ? 左上の海の家が賑わっている。
とにかく広い砂浜だった。
砂浜からゴゾヤマ(左の小山)、松原(右の黒い線)を望む
50数年前に植えられた松が20数年で小さな松林になり、
2010年には人物の背後のように、けっこう大きな松林になっていた。
ただ、なぜか10年ほど前から砂浜が急激に失われ、松を直撃するまでに波が迫った。
それで写真のような大きな石の防波堤が築かれたが、津波後はこの石の防波堤が弓形に残っている。
砂浜が失われたのは何かの予兆だったのだろうか。
楽しい海水浴場も荒れた日は怖かった。
津波はこの方向から押し寄せたのだろうか。
2、松原の周辺
海水浴場のある太平洋を背にして、釜谷など北上川上流方向(西)を見た写真。
右は松原。護岸は石積みで、高さは4メートルほどあったが、今は松林も護岸もまったくない。
松のある道を左にずっと行くと長面の中心部。船がこのまままっすく進むと尾崎の突端に突き当たる。
松原荘の前の道路からの撮影で、ここからの夕日はまさに西方浄土を思わせた。
上の写真の舟が向かう先がここで、尾の崎のゴゾヤマ(弘象山)の突端。
この周辺は干潮になると大きな干潟になるが、潮のある時はバゼがよく釣れた
この水路を左手に行くと尾崎、長面の集落、そして長面浦になる
松原の中を通る海水浴場からのメイン道路。
何万本もあるこの大きさの松が一本ものこっいてないということは、
松を超える高さの津波が襲ったのだろう。
JNN( TBS系)ニュースの大川小学科校の悲劇という番組で
石巻市職員の及川氏は
「この防潮林の松は20メートルぐらいあるが、
それを超えてくる白い津波が見えた」と語っている。
及川氏は避難を呼びかけるため、
大川小学校の横を通って、海岸地域に向かう途中、
釜谷から松原を超える津波を見たのである。
及川氏らは釜谷橋のたもとの、学校の裏山に駆け上って避難、
その後学童らを助けた。
写真の正面の松林が防潮林。その向こうにもう一段の防潮林があり、砂浜へと続いている。
この防潮林を津波は越えてきたのである。
このあたりは長面の須賀という地域で、北上川の堤防と松原に守られて多くの人が住んでいた。
しかし今、松林も住宅も田畑もいっさいなく、海面が広がっている。
松原から長面や尾崎への道路から、松原、海水浴場方面を見たところ。
中間に大きな干潟がみえ、松林の右端が松原荘あたり。
廃船と松のこの場所は、どこから見ても美しかった。
下は同じ場所から尾の崎、ゴゾヤマを望む。
3、長面と長面浦
長面の北野神社の山から、
長面集落の主要部、尾崎とゴゾヤマを望む。
はるかゴゾヤマの左に松原、太平洋が見える。
津波はあそこから押し寄せてきたのだろう。
長面に煙突のように高いものがみえるが、
ポプラの木だろうか。
こういう高い構造物があった記憶はないので。
(1960年代半ばの写真か?)
津波の際はこの神社の山に逃げた人も多かったという。
長面浦に流された人の助けを求める声が夜更けまで聞こえたというが、
朝までには途絶えたと聞いている。
NO君がもってきてくれた長面浦の写真。
「故郷 牡蠣の養殖」とメモがあり、
裏面に「昭和30(50?)年12月25日、大嵐があった」
と書かれているが、牡蠣棚に変わった様子はないようだ。
長面浦のこのあたりは非常に深いところで
管理人はおぼれて、先生に助けられた記憶がある。
4、津波の爪跡
津波後、初めて見た長面、尾の崎(3月13日、アジア航空)
長面の一部と尾の崎の一部。(津波前の石巻市による航空写真)
津波後の長面と尾の崎(国土地理院)