〔大川(石巻市)追想〕 昭和中期の遊びと暮らし 冬

下駄スケート または カスガイ・スケート


 釜谷の同級生HT君(仙台在住)は、子どものころの冬の遊びは「スケート」と「スキー」だったと言っています。
 といっても、今どきのスケートやスキーではなく、スケートは「下駄にカスガイを打って、ときどき抜けては転ぶ)」というもの、スキーは「竹で手作りしたもので、裏山のそこは何度も滑って固まっているので、雪というより氷の上を滑っている感じのもの)」だという”註”がついています。
 やりました、やりました。トロントのMKさんも「竹スキー」の記憶があると言いますから、冬の定番だったのです。

 今年は例年になく寒い日がつづいているから、何事もない普段の冬だったら、子どもたちは私たちが子どものころと同じように田圃や沼でスケート遊びをし、裏山でスキーやソリと戯れていたかもしれない。

 大川村の田んぼや沼は、冬になると氷が張った。あまり厚くはならないが、1〜2センチになるのを待ちかねて、みんな氷の上で遊んだ。
 上級生はカスガイ・スケートというので滑っていて、とてもうらやましかった。そのうち私も3年生か4年生のとき、カスガイのスケート作りに成功した。だから今でもスケートはうまい(と思い込んでいる)

 「子はカスガイ」というように、二つの材木をしっかりつなぐための、長いコの字型をしたクギの一種だ。大小いろいろあって、丸い針金でできたもの、四角の鉄棒を加工したものなどいろいろある。

 家の道具箱をひっくり返すと、底のほうにクギとか古い家具の取っ手とかがいろいろあった。たいてい赤サビのでた古いもので、ピカピカ光ったものは何もなかった。どれも小屋とか船、農機具などを解体したときに、使えそうなものをとっておいたのだろう。
 ともかくそこから、長さ10〜15センチほどのカスガイを探す。
 
 まずサビを落として、足駄(あしだ、下駄の一種)の本体にしっかり打ち込む。乱暴にすると足駄が割れてしまうので、注意が必要だ。
 足駄
、歯の磨り減ったのを使った。歯をはずして使うこともあるが、歯が詰まっているほうが丈夫なので、余分な歯は削り取って台形にするのである。
 
最近は足駄を履く人はめったにいないが、高校野球の応援団などが履いているのを見かける。ふつうの下駄より少し重くて、歯が高いうちは履きにくいが、雨でぬかった泥道には都合がよかったし、歯が磨り減ったら新しい歯と差し替えればいいので経済的である。
 それと雪が積もったときは、ふつうの下駄より雪が詰まりやすくて、どんどん高くなるのでおもしろい。みんなで誰が一番高くなるか競争したものだ。

 打ち込んだカスガイには、大きなヤスリでエッジを立てる。まず両サイドを直線に削り、次に氷に接する面を平らに削れば一応の出来上がりだ。
 あとは目の細かいヤスリでつるつるに仕上げたり、砥石をかけて滑らかにして、角を鋭いエッジにする。
 カスガイはハガネではないので、ヤスリで十分削れた。

 
道具箱には大小のヤスリがゴチャゴチャ入っていたが、どれも赤錆びた古いものだ。新品のヤスリはべつに一まとめにしまわれていて、これは親父がノコギリの目立てに使うものだ。たまにはこれをこっそり使った。
 目立てというのは、ノコギリの歯を一つ一つヤスリで研いで切れ味をよくすることだが、私は歯の数に恐れをなしてやったことはない。

 うろ覚えだが、カスガイスケートのエッジをW型(というか逆M字型)にする上級生もいたような気がする。氷に接する面が小さいほうが滑りがよくなるからだが、それだったら今のスケートみたいになぜV型にしなかったのだろう。Wのほうが安定がよかったのかもしれない。
 細くて長い鉄の棒に直線の溝を刻むなんてことは、当時の私にはできなかったので、私のは平らなエッジである。

 このスケートを履くには、必ず足袋を履かなければならない。下駄の鼻緒に紐をつけて、しっかり足や足首にくくりつけるので、足袋がなければ痛くてかなわないし、冷たい。
 紐の結び加減もけっこう難しい。ゆるければグラグラして滑っていられないし、堅く締めすぎると痛くて足首が曲がらなくなる。

 カスガイの長さがせいぜい15センチなので、フィギャースケートみたいなものだ。浅田真央のように華麗にはいかないが、カーブも簡単に曲がれるし、パッと後ろ向きに方向を変えたりできた。スピードよりもそういう技がきれいにできると尊敬された。
 マツボックリや氷の破片をボールにしてホッケーみたいなこともした。

 中学生ぐらいになると、鍛冶屋さんでスケートを打ってもらった。オーダーメイドの高級スケートである。
 長面の家の近くにも鍛冶屋さんがあったが、みんな釜谷の鍛冶屋さんに頼んだ。ここのおじさん手慣れた上に親切で、注文主の好みをちゃんと聞いてくれるのだ。
 まあ、オーダーメイドとはいっても、基本の形は決まっているので、せいぜい先端の形とかブレーキの溝の数とかを聞いてくれるだけなのだが……。

 鍛冶屋さんで打つスケートはだいたい図のようなものだ。長さは25センチぐらいのスピードスケートだ。これをどうするかといえば、やはり足駄の底に打ち込むのである。
 これが本物の、高級なスケートだった。エッジはちゃんと逆M型に深く刻んでくれたと思う。
  
 スケートでスリルがあるのは、氷が薄くてゆっくり歩いたら割れそうなところを、ハイスピードで滑り抜けること。
 自然の氷には部分的に薄いところがあって、子どもはなんとか大丈夫だが、大人なら確実に割れるところがある。そこをスーッと走り抜けると,氷がググッとたわむのがおもしろい。
 注意していても、一冬に2度か3度は氷が割れてずぶぬれになった。田んぼだから割れて落ちても命にかかわることはないが、お袋や姉には文句を言われた。洗濯物が増えるからだ。
 洗濯も今のように簡単ではなかったから……。

 こういうことを思い出していると、今度の津波で亡くなった同級生JT君のことなどをありありと思いだす。通称Jつぁんの家の裏庭は、畑につづいて広ーい田んぼがつづいていて、絶好のスケート場、スキー場だった。
 今そこは、無人の海面が広がっていたが、この寒さで少しは昔の面影を取り戻しただろうか。

*このスケートの思い出は、ずっと以前、別なところに書いたものに少し手を加えました。当時、芦早の同級生AK君は、通学をするのにこのスケートで一直線、田んぼを突っ切って通ったと言っていました。
 釜谷のHT君もこれでよく学校へ行ったと言っていたから、KS君やKY君も、みんなそうしていたのかもしれない。  (2012-2-3  松原A)



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