掛物集 付記


●祖道師の書について●

 祖道老師の遺墨の多くは、昭和三十三年、長野県の小諸・懐古園に赴いてから書かれました。もちろんそれまでも禅語や和歌、それに書簡などを半紙や色紙にしたためましたが、後世に残そうと意識して書かれたものは多くはありませんでした。

 小諸に赴いてまず書かれたのは、下のような手書きの楽譜で、求める人があれば『惜別の歌』『初恋』など1ページのものは100円、見開き2ページの『千曲川旅情のうた』などは200円で分ち、これがわずかに飢えをしのぐ糧となりました。

『惜別の歌』         『千曲川旅情のうた』の表紙と『小諸なる古城のほとり』と題した見開きページ

 老師の草笛演奏付きの直筆楽譜はなかなか好評だったようで、修学旅行で懐古園を訪れた桐朋学園6年生の某君はこんな作文を書いています。
「……ぼくは、今でも城あとの、あの草笛のものがなしい調子が忘れられない。もう60才になったといった祖道さん。おじいさん! ぼく、家に帰っても歌っていますよ。こもろなる……ってね。おこずかいを使いすぎて200円だった「こもろなる」を買えなくて、100円の「はつこい」という楽譜を買ってきましたが、年をとると、ぼくはもっといろいろな心で祖道さんを思い出すだろうと思っています。しみじみとした思い出を、横山祖道さん、ありがとう」
     (『草笛禅師』(こちら)179頁。他にもいろいろなお便りが掲載されています)

 手書きの楽譜の作成はなかなか大変だったようですが、心のこもった優雅な“作品”に仕上がっています。のちには「香霞千里」とか「古の天地古の乾坤」などの禅語、あるいは古人やご自身の和歌を書きため、お布施をいただくとお礼に差し上げるようになったそうです。また、各種色紙も求めに応じて書かれました。

 それまでは軸にするような書はあまり書かれませんでしたが、柴田誠光師の小諸来山(昭和四十七年)を機に、いろいろなものが書かれるようになりました。そのいちばん初めは、柴田師のためにとしたためられた“沢木興道語録”でした。(こちら)

 その少し前のお正月、永平寺で修行していた柴田師が、壽餅贈法(じゅびょうぞうほう)の慣例でお餅の一片をお贈りしたところ、写真のような書状が老師から届きました。これを柴田師が表具して老師にお見せしたところ、その後は“永く残したいもの”“心に深く刻んでおきたいもの”を大きい紙に書いて、これを表具するようにとおっしゃったそうです。

 柴田師は、「仏教の真髄を後世に残すために、またご自分の体験を通して、マンネリ化した仏教の言葉を、新しく新鮮な言葉で表現したものを、軸にしたのだと思います」とおっしゃっています。

                                       (柴田誠光師のお話から)


*祖道師の色紙や軸をお持ちでしたら、写真やコピーなどお寄せいただければありがたいです。
*今回掲載の軸の写真は「上田・スタジオとみおか」にご協力いただきました。
  
                                   (『横山祖道資料館』管理人)
                              2015.11.10


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