針岡(はりおか)の写真集


針岡の中心はなんといっても富士沼で、湖を囲んで多くの集落がある
地図を見てもわかるように、背後の山からの清涼な水が豊かな生態系を生み
白鳥をはじめとする水鳥の飛来も多い
またその水は富士川を通じ大川地区の主要な農業用水となっている
もっともこの地形によって、今年(2011年)の台風15号のように大きな被害が生まれることあるが……


針岡は古い昔は、長面浦と同じような内海で、その山際に集落が発達したという。

間 垣
間垣は、釜谷と同じく3.11の津波で壊滅状態となった。
間垣は釜谷のすぐ近くなので、管理人はつい最近まで釜谷一部だと思っていた。
震災当時、針岡の死者がどんどん増えるのはなぜだ?と思っていたが、
犠牲者の多くは間垣の方たちだった。(管理人)


大橋完工前の追波川の写真が見つかりました。間垣の堤防から下流釜谷方面を眺望したものです。
川べりがコンクリートで固められてる状況からして高1の時遊びに行った際の写真と思います(S40年3月)。
S30年代はコンクリ部
が石垣状に大きめな石が敷き詰められてた記憶がありますので。
(かつての間垣少年さん)

間垣に居住された方々なら毎日眺めたであろう雄勝峠の風景。
白地に幾条かの赤ラインが鮮やかだったボンネット型の仙北バスが砂ぼこりをたて
喘ぎながらコトコト走りゆく光景がこの写真を見るとよみがえります。
これも
S40年3月ものです。(かつての間垣少年さん)
富士沼

岸辺は薄氷が張っているおだやかな湖面、白鳥が来ています。(撮影TSちゃん)


飛来した白鳥たちとあったかいコーヒーは格別


03年2月、針岡の追舘と谷地の間の山から湖面に飛び立とうとするオオワシ
撮影は雄勝・分浜のMS和尚さん(猛禽類の観察でも有名な方)
分浜のお寺もずいぶん高いところにあったのですが、津波で破壊されました


何事もなかったような鏡のような富士沼
しかし、手前の松の木が象徴するように
水中にはまだ多くの家屋、車、松原の松(長面の)その他の瓦礫が沈んでいる
今年も白鳥は来てくれるだろうか。(KS君撮影)

同級生EYちゃんの実家の地に着陸している自衛隊の救助活動ヘリ。(KS君撮影)


鳥屋森のТさん家近くの津波後の情景。右の山は館山。(KS君撮影)
館山は針岡開拓の祖とも言われる平塚将監(葛西家家臣)の城跡

旧大川村 写真集に戻る