Art Gallery  東光園 夢郷さんの世界(3)

入釜谷の高橋竹也さん宅に永沼夢郷さんの『高砂』があり、針岡の佐藤孝一さんを通じてオリオンにご提供いただきました。高橋岳弥さんの先代が夢郷さんと親交があったようで「達磨さんの絵もあったと思う」とおっしゃっているそうです。もしあればぜひ拝見したいと思いますので、よろしくお願いいたします。
 雅号は「凡鳥」となっていますが、松原時代は「夢郷」が多いのでちょっと珍しい感じです。東京時代には「北川」という雅号も用いたようです。



最近、表具を改めたと
いう夢郷さんの『高砂図

高橋竹也氏蔵


部分拡大図



凡鳥の揮毫


Art Gallery  東光園 夢郷さんの世界(2)

 
復元され、お孫さんにあたる雄勝・分浜高源院の齋藤政裕ご住職(震災後は大崎市松山・眞源寺ご住職)から写真が届きました。
 この襖の絵は昭和30年代の初め、高源院の庫裡を修築した際、政裕和尚さんのお祖父さんにあたる夢卿さんが病を押して訪れて描いたもの。震災時は本堂の物置にしまわれていましたが、津波に襲われる被害にあい、後にボランティアさんの手で天日で干されるなどしたため、ボロボロの状態になっていました。
 ようやくこのほど修復がなり、現在は本堂の襖として使用されているそうですから、機会がありましたらぜひご覧ください。下の写真をクリックしていただくと大きな写真になりますので、晩年の円熟した夢郷さんの筆致を楽しんでいただければと思います。    管理人  (2016.12.16)


襖絵1 最晩年の作品、題はわかりませんが「晩秋」でしょうか
 

部分 キジバト
※水辺に倒れ掛かる菊と若々しいキジバト。


部分 晩菊
※美しい流れに咲き乱れる晩菊。


襖絵2 釈迦成道図

部分 お釈迦様と馬酔木の古木
※お釈迦様のお顔が夢郷さんに
 似ているような気がします。
※右の古木は当時境内にあった
馬酔木だそうです。





部分 蓮の葉と花
※東光園には蓮の池がありま
したが、夢郷さんの浄土だ
ったのでしょう。
※左の蓮の葉の上に「ふじ」と
いう墨書がありますが、政裕
和尚の姉上が小1時代、書道
 を習い始めたときに間違って
したためたものだそうです。

部分 ご詠歌の一曲

※管理人には何と書いてある
のか分かりませんが、ご詠
歌の一曲とのことです。
※おぼろ月の蓮池にしっくりと
似合っていますね。

解説はこちら



Art Gallery  東光園 夢郷さんの世界(1)

長面・松原に桃源郷を実現した仙人のような絵描きさんでした
写真提供は雄勝分浜、高源院の斎藤和尚さんです。絵も寺とともに津波iに襲われて海水に浸りましたが
なんとか筆跡を保つことができ、表装をし直したところだそうです。
夢郷さんのことはまた書きたいと思っていますが、こちら「東光園、夢郷または無郷さんのこと」もご覧ください(管理人)
(写真はいずれもクリックすると拡大されます)


まず、扇面図です

*「四海〇風」。夢郷の号があるのでやはり夢郷さんでした。いや、夢郷か無郷かわからなかったものですから (管理人2014.630)
*「しばらくぶりで夢郷さんの絵に会えました、賛は四海凪風……四方の海は風もなくゆったりと静かにたゆとうているとの意でしょうか(あくまで私見ですが)」という近藤孝悦さんのお便りがありました。(7/4)


掛け軸(一)

*題は「江山夏色明」と読めます。下方の漁師さんは、これから釣りに出かけるところでしょうか、
帰るところでしょうか。
 (2014.7.7)


掛け軸(二)

 



*以上二点は夢郷作とありますから、たぶん東光園時代の絵と思われます
*もみじ葉と小鳥はなに鳥でしょう。良寛さんの歌に「夏ほととぎす 秋はもみじ葉」がありますが……。 (2014.7.7)


掛け軸(三) 「北川」の号があります

*達磨図でしょうか。若いころは「北川」と号していたそうで、東京時代の作品と思われます。(2014/7/9)


掛け軸(四) 「凡鳥」の号があります

*「凡鳥」という号は「北川」の後に使っていたようです。
*サインのあとに「写」とあるのでどなたかの絵が土台になっているのかもしれませんが、
管理人には自画像のようにも見えます。アタマはもっとふさふさしていましたが。
(2014/7/9)


掛け軸(五) ふたたび「夢郷」の時代です

*穏やかな竹と雀ですが、下部の岩? 古木?の筆致が激しいですね。(2014/7/9)


掛け軸(六) 

*揮毫はありませんが、三女のA子さんが嫁入り後、初めて里帰りしたときにサラサラと描きあげたそうです。
*肖像画というべきでしょうか、観音像というべきでしょうか。
 (2014/07/09)


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