愉快で家族思い……J.Tさんのこと
奥さんと大好きな3人の孫をつれて旅立ってしまった従姉兄……。この従姉兄たちが好き! 長面が好き!
従姉妹M.Sさんの回顧

まずいちばんに思い起こすことは、本が大好きなことです。毎月、あるいは毎週、定期的に本を買い求めていました。話題のベストセラーをはじめ、各種の受賞作品を、ジャンルを問わず、小説、エッセーなど、手あたり次第、なんでも読んでいました。
 新聞なども、二紙をすみからすみまで読み込んで、政治、スポーツなど、熱く語っていました。曽野綾子が好きで、小説やエッセーのほか、日めくりの暦の格言に共鳴し、噛みしめていました。

 人生の大半は、夫婦で養豚業に励み、これを生活の糧として頑張っていました。
 その合間に、あるいは仕事の後に、パチンコも好きで、飯野川や石巻に用事で出かけたとき、よく楽しんできたようです。
 上手だったのか、いつも帰りには奥さんの好きなお寿司や菓子など、たくさん買ってきたようです。勝っても負けても、いつもニコニコ、勝って嬉しかったこと、失敗した話などを聞かせてくれました。

 なかでもいちばん印象に残った話をしましょう。今は本人がいないので許してもらって……。
 
 軽トラックで農作業の材料を買いに行った帰りに、例によってパチンコ屋に入ったら、次々と大入りで、アッという間に暗くなってしまった。さあ帰ろうと自分の車を探したが、どこにも見つからない。
 そのうち雨も降ってきて、焦ってきて、お店の従業員にも手伝っていただいて探したが、とうとう見つからなかった。
 ところがフト、“今日は軽トラではなくて、乗用車で来たのだ!”と思い出した。
 とても恥ずかしかったので、従業員には「迷惑をかけましたが、車、見つかりました」と言って、そそくさと帰ってきたとか。
 
 あとで大笑いしながら教えてもらいました。J.Tさんらしいエピソードだと、そのときのあの声、あの顔が思い出されて切なくなります。
 そんな失敗談でも、楽しく話して聞かせてくれる人でした。

 人間大好きな人なのですが、少しシャイなところもあり、大勢の中に入るのをあまり好みませんでした。でも少人数の話の合う人の中では話題豊富で、自分の能力をフルに発揮していました。

 家族思いで、奥さんのY子さんや孫たちを車に乗せて、週に何度か食材を買い求めに行くのが楽しみの一つのようでした。

 野菜作りも大好きで、夫婦で一年中、畑仕事をして、収穫を楽しんでは、親戚、知り合い、近所などに配って喜ばれていました。堆肥を使った有機栽培で、見事な野菜を作ってました。中でも長いも(とろろいも)、白菜、大根は格別でした。

 一見、おとなしそうなのですが、本来は朗らかで、愉快で、とても楽しい人でしたが、ときおり
子がいないとオレは何もできないから、生きてはいけないナー」など、ちらりと本音も話していました。

 そんなJ.Tさんが、若い息子夫婦二人を残し、夫婦で、大好きな孫三人を連れて、長い長い旅に出てしまいました。
 残った人たちの悲しみ、悔しさは、一年を過ぎた今も薄れることはありません。

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追:本来なら身内のようなものなので、私の立場で誉めるべきではないのですが、お許しください。

 戦後、引き揚げてきて、父の実家であるJ.Tさんのところに、三歳からお世話になり、自宅ができて離れてからも、姉や兄のいない私は、J.Tさん姉兄を尊敬し、慕って、兄姉のように付き合って現在に至っています。

 私たち家族は、どこに住んでもいい環境にありましたが、長面が好き! この従姉兄たちが好き! で、長面に(夫の好意もあって)移り住みました。老後のための(バリアフリーを基にした)リフォームも終えたのに、全部失って残念でした。

 でも命がありますので、前向きに、皆で頑張ろうと思っています。ボランティア仲間のY.Hさんにすすめられて思いつくままを書きました。ご判読ください。
                                   M.S



J.Tさんのこと じつはJ.T君は管理人の同級生で、小さいころから紳士のような雰囲気があった。子どものころは彼の家にはT.N君などとよく遊びに行ったが、父上もどっしりした風格のある方で、たぶんJ.T君もそういうタイプになったと思っていた。その彼が、文中にあるように奥さんと3人のお孫さんともども亡くなられたという。こんなことが起こるとは夢にも思わないから、田舎に帰った時も彼の家の横を車で通りすぎながら、「どうしているかな。そのうち会えるだろう」ぐらいに思っていた。今もしあえるなら、お孫さん自慢はもちろん、パチンコ談義、文学談義、それに野菜作り談義などに花を咲かせたいと思うのに……。

M.Sさんのこと 戦後、満洲から引き揚げて、博多、東京を経由して、ようやくJ.T君の家にたどり着いたという。そのとき3歳というから、J.T君は7歳か8歳ぐらい。きっと兄妹のように過ごしたに違いない。その後、M.Sさん一家は家を長面に建て、M.Sさんは独立して長面を離れたが、やはり「長面が好き! この従姉兄たちが好き!ということで、ご主人とともに長面に帰ったのだそうだ。
その家も全部失って、いまは娘さんのところでお孫さんの面倒を見ているというが、自分も被災者にもかかわらず、ボランティアに精を出しいるとU.Hさんから聞いた。戦中戦後の過酷な体験をした人の強さを感じます。
(24.3.24 管理人)


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